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現状報告2010.12

長らく放置してました。
このブログにたどり着く方は、
ご自分が、もしくはご家族、親しい方が、
「悪性リンパ腫」と診断された方ではないかと思います。
わたしも母の診断を聞いたときは、
症例・経過・その他なんでも知りたくて、
希望が欲しくて、探しまくりましたから。

発症から2年立った今、振り返って現状までご報告します。


母の発症(発見)は、2008年11月。
数回の検査検査をしたあとの診察で、即入院と言われました。
個人で経営していた事務所をたたみ、
自宅の荷物も整理・処分して、入院。
(覚悟しちゃったんですね)

12月から翌2009年4月まで
3週間毎のR-CHOP療法。

R-CHOP療法の間は、食欲がなくなって激やせしたり、
髪が抜けたり、抗がん剤の副作用はしっかりあったけれど、
3週間サイクルの合間はわりと(かなり?)元気で、
周辺をわたしと一緒におさんぽしまくり。
おいしいと有名なパン屋さんで明日の朝食を仕入れたり、
輸入食品のお店でおいしそうな紅茶を買ったり。
一人暮らしを始めたようなワクワク感がありました。

そして規定クールを終え、
4月のひと月間一時退院しました。

かなり無茶だったんだけど、
南紀白浜に温泉旅行。
三段壁の強風に
やせ細った体が吹き飛ばされそうだったけれど、
パンダの赤ちゃんもいて
楽しい旅行でした。

5月の連休明けから再入院。
自家造血幹細胞移植に入りました。

これがキツかった。
わたしも母自身も記録を付ける余裕がなくなって、
今となっては何日間どうだったか、
わからなくなってしまったけれど、
キツいキツい抗がん剤。
クリーンルームにわたしが入って行って、
隣りに立っても気がつかないくらい。
気がついて少し話をしても、次の日にもう
覚えていなかったり。
何日もの間、昼も夜もわからず朦朧として
苦しみました。

3月に幹細胞採取のためにクリーンルームに入ったときは
閉塞感で気が狂いそうって言っていたけれど、
(一日一回、家族のみの面会が30分以内)
5月の移植では面会がどうとかいうレベルではなかったです。

順調に、いや、少し細胞が壊れているとか、
白血球値が思うように上がらないとか、
ちょっとゴタゴタはあったけれど、
予定の範囲内で一般病室に移動。

6月に晴れて退院しました。


体力自慢の母だったけれど、
「すごく体の弱い人」くらいの日常生活は
送れるようになりました。
フライパンが持ち上がらなかったり、
瓶のふたが開けられなかったり、
筋力のなさと、指先のしびれはしばらく続きます。


3か月後の2009年9月。
仕事再開。
若い経営者のサポート、という位置づけだけれど、
結局は以前していた仕事を二人でするようになっただけ。
体力使って普通に働き出します。

一年後の2010年10月。
寝たきりの98歳の祖母を自宅に引き取ります。
前は一緒に暮らしていた祖母。
母の入院と前後して体調を崩していたので、
治療もかねて入院し、
その後叔父の家で介護していましたが、
母のいる自宅に帰ってきました。

要介護認定いくつだっけかな?
生活ほぼすべて介助が必要です。

週三回の昼間はデイケアに送り出し、
残りの週四日は仕事場と家を一日何往復もしながら
介護と仕事を両立させています。
デイケアに行った日も夜は自宅。

祖母を9時に寝かせたあと、夜中12時と3時に
体位変換に行くそうです。
おしめ交換と、それに伴う山ほどの洗濯物を
一日に何回も。


元気な人だって病気になりそうなこの状況、
を、病み上がりの母がこなしています。


悪性リンパ腫のほうは。
だんだんと間が開いて月に一度になった診察。
白血球値がちょっと落ちたり戻ったりはしているけれど、
一応異常なしと言われています。

再発率が高いと言われるこの病気。
疲労やストレスが天敵というのに、
今は疲労とストレス満載の生活です。






いかがですか?
現在闘病中の方、希望が持てましたか?
66歳の母。自家造血幹細胞移植も
年齢制限ギリギリといわれたけれど、
スーパーマン級、脅威の回復をしています。


次の目標は5年後。
5年過ぎたら再発率はグンと下がるらしい。
5年間は静かにそーっと、楽しく楽に
生活して欲しかったんだけど。

そうそう。
4,50代の頃、更年期らしき症状は
全くなかった母が、
退院後にたくさんそんな症状がでるそうです。
治療で大量のステロイドを使用したから?




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現状お知らせ




ご無沙汰しております。

治療内容を、順を追ってレポート・・
などと思っておりましたが、
あまりにも放置しすぎて何がどうやら・・。

前回記事の後、
規定の抗がん剤他、
一時退院したり、
採取した幹細胞の移植など、
これがキツくて地獄を見たり、
なんて色々ありましたが、
6月末の本退院後、最終のPET検査を受け、
7月21日、本日、ガン細胞が消滅しているとの
診察をいただきました。

これで一応、数年間は一安心。

再発の危険性はもちろんゼロではないし、
以前にはほど遠く落ちた体力を戻して、
日常生活を息を切らすことなく送る
なんてことが目標だったりするけれど、
とりあえず一度、完全リセットです。

ご心配、応援いただいた方々、
ありがとうございました。

そして、記録として、
前回の続きの治療内容も・・。
ぼちぼち書いていきます。


造血幹細胞採取



白血球値もなんとか少し上がり、
採血できるようになったそうです。

当初予定より一日延びて12日、13日。
12日朝は2400くらいの数値のまま、採血です。

腎センターの機械につながれて約3時間。
両腕に針を刺され、片方から採血、もう片方から血を戻します。
採血の方(右手)は、普通の採血の時のように、
二の腕の上部をバンドで止め、
なんか皮でできたもの?(と言っていた)をにぎにぎします。
足には血圧計。
両腕は動かせない、ってことは体も動けないわね。
薬が入る辛さじゃないけど、
やっぱりしんどかったって。
で、にぎにぎを休むと、機械がピーピーなるそうです。
「ちゃんと、にぎにぎせんかい!」って。

「でもお母さん、筋力には自信あるもの。
普通より早くできましたって。」
上部で立派な血管です、って誉められた(?)
らしいけど、筋力は・・?


13日は白血球値7000代に上がりました。
二日目も同じことをして、採血終了。

「もし足りなかったら、明日追加でします。」
と、先生に言われて、嫌がっていたけれど、
夕方に、ロビーで行われたコンサートに降りて、
(もう外出できます)
お部屋に戻ると、先生からメモが。
「明日もう一度、血液採取します。」

足りなかったそうです。

明日もう一回。








母の入院後、すったもんだしていた祖母の介護ですが、
伯父夫婦がとうとう音を上げて、
祖母もリハビリ付きの病院に入院することになりました。

約3ヶ月。
よく頑張ってもらえた、というのか、
たった?というのか。
介護生活を経験していない私が
口を出せることではなくて。

伯父の家の構造だとか、
もともと祖母が母と住むことになったいきさつだとか、
今の祖母の状態にそれぞれが望む思わくだとか、
もちろんお金の問題もあるし、
もうみんながいっぱいいっぱいに
なってしまった感じ、みたい。

伯母がまたぶちキレてます。

祖母がたらい回しになった格好ではあるけれど、
仕方ないかと思う面もあり。
難しい。わからない。

でも唯一言えるのは、
この段階で、伯母が音を上げたのは、
ちょうど良かった。(と、私は思う)

母は、今回の採血の後、
一度通常クールの抗がん剤をしたら、
3月末くらいには一度退院、通院治療にかわります。

4月のひと月、毎日通院しながら自宅療養し、
5月連休明けから、今度は移植のための入院、
一番キツい抗がん剤をします。

4月に退院したからって、
とうてい介護できる体力はないし。

でも、これまでの伯母だったら、
母の退院と同時に祖母を帰してくる勢いだったし、
母自身が祖母を入院させることはきっとできない。
祖母も母の言うことは聞かない。

祖母には6月以降の、
母の本退院までは病院で頑張ってもらって、
母にせめて日常生活の体力が戻ってから、
退院してもらえばいいです。

・・リハビリ頑張ってくれるといいけど。
入院生活で甘えて、寝たきりにならないかが心配。

祖母の病院はちょっと遠いので、
毎日は通えないけれど、
今度は母と祖母、
2件の病院に、お見舞いに通うつもりです。

ちょうどもうすぐ春休み。
子連れで行ったら祖母も喜んでくれると思う。



クリーンルーム(無菌室)脱出



独房のようなクリーンルームから、やっと釈放されました。

二日前と、今日の採血は、数値かわらず600程です。
で、朝の時点では、1000超えるまでは
クリーンルームで、と言われていたけれど、
白血球を増やす薬もしているし、
もうそろそろ上がるだろうということで、
急遽、一般病室に移ることになりました。

一般病室と言っても、
お部屋から出るの禁止、
窓あけるの禁止、
食事は再加熱の無菌食、と、
あまり変わらない状況ではあるけれど、
何となく気分的に開放感があります。

低くうなる空気清浄機もないし。

大名行列の部長回診も母の部屋は飛ばされました。
部長御一行様に雑菌持ち込まれても困るしね。

割り箸・紙コップ生活からも一応解放。
なので、お箸お湯のみや湯沸かしポット、
お風呂セットなど一式を父と運び込みました。

バッグの中のわずかな荷物を戸棚にしまうだけで
ふらふら。
やっぱりかなり体力落ちてます。
午後からはまた血小板の輸血をしました。
今回は前より多くじんましんが出たみたい。
でも、全身にアレルギー症状が出る人もいると聞くから
軽い方なのかな?

明日はやっと、造血細胞の採取です。
ソケイ部からの循環と聞いていたけれど、
母は血管が太くて丈夫だそうで、
腕から反対腕に変更になりました。
キリストのはりつけやなぁと言いながらも
喜んでます。

明日、明後日の二日間、各2時間程らしい。

薬品が入るわけではないから、
疲れるとか以外のしんどさはないのかな。



クリーンルームと一般病室、
なぜか風景が全く違います。
なんだろう。
壁紙か、照明か、窓の方角?

クリーンルームはモノトーンで、
時間が止まっている感じ。
一般病室は優しいオレンジ。
オレンジ色のものなんてないんだけど。
お部屋がかわってホッとしました。

クリーンルームの間、
時間の感覚がなくなって、
今朝のことと三日前のことがごっちゃになったり、
同じことを三度も4度も言ったり、
ちょっと変で、父は心配してたんだけど、

普通の人も高熱出たりしたら、
色々わからなくなってぼーっとするものだし、
ましてや抗がん剤。
少々おかしくなって当然。
病室かわってまたしっかりしてくれると思います。


元気になったらまた何キロも歩かなきゃね。





血小板輸血



クリーンルームは、やっぱり一般病棟と違って
規則にすごく厳しいです。

時間外面会も、持ち込み荷物もルール違反はだめ。

前回、門前払いされてから、
平日は結局、面会に行けなくなってしまいました。


今日日曜日、朝からとても忙しくて、
ふらふらのへろへろで夕方帰ってきたんだけど、
日曜を逃すとまた行けなくなるから、
急遽、車をとばしました。


一週間振りの母は、前回よりも少し元気そうに見えました。
ふらつきはまだあるけど。





3月7日に血小板だけの輸血をしたそうです。

処置前に先生に
「アレルギー反応などが出ることもあります」と言われ、
母は自分で、思い込みが強いから「出る」と言われたら出るわ。
と、覚悟していたらしいけど、
小さいじんましんが、ぽつぽつと4つ程出ただけだったそうです。


明日か明後日には、クリーンルーム脱出できるかも。







母が先生に、この病院での悪性リンパ腫の治癒率とか、
自家造血幹細胞移植の症例数や生存率を聞いたそうです。

データとして出す程の症例数はないから、何とも言えない。
という返事。

この十年で一番進化している診療科目らしいから、
それも仕方ないのかな。




ついでに、入院の時点でもし気づかずに過ごしていたら
どうなっていたかと聞くと、
もう命はないだろうと。

突然ばったりというのではなくて、
腸閉塞とかで七転八倒というのが先にくるはず、
そして、そこで見つけても手遅れって。


あの時は、微熱が続いたのと、気分が悪いのと、
それからお腹のしこりに気づいて受診したけれど、
緊急の症状は何もなかった。

ほっておいてもおかしくない状況だったのに、
あれよあれよという間に、即日入院。


なんか、
なんだろう。

母は、そういう運をつかんでいる人。

まだやるべきことがあるんだね。

私もがんばらなきゃ。





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